明治時代

西郷隆盛の和歌

西郷隆盛の和歌

国のためみがきあげたる白玉をなげうつ時は今ぞ来にける

上衣うはぎぬはさもあらばあれ敷島の大和やまとにしきを心にぞ着る

憂きことの稀にしあればくるしきを常と思へば楽しかりけり

君がため深き海原ゆく船をあらくな吹きそしなとべの神

諸人もろびとのまことのつもる船なれば行くも帰るも神や守るらむ

二つなき道にこの身を捨小舟波立たば立て風吹かば吹け

結ばれし心のこほり解けやらで春ならぬ春に春は来にけり

思はじな思ひし事はたがふぞと思ひすてても思ふはかなさ

思ひ立ち君が引手ひくてのかぶら矢はひと筋のみにいるぞかしこき

一筋にいるてふつるのひびきにてきえぬる身をもよびさましつつ

西郷隆盛とは

西郷隆盛の肖像(諸説あり

西郷隆盛は、江戸時代の幕末から明治時代という日本の転換期に活躍した薩摩藩の武士、政治家。

文政10年(1828年)に生まれ、明治10年(1877年)に死没。

西郷どんという渾名でも親しまれ、敬愛されている西郷隆盛は、薩摩藩の下級武士の家に生まれる。

明治維新の立役者となり、新政府軍の陸軍大将となる。その後、西郷は鹿児島に戻り、私学校を創設する。

農業や狩猟もしながら故郷で暮らしていた西郷だったが、同士に担がれ、反政府軍として西南戦争に向かっていく。

西南戦争に敗北した西郷隆盛は、鹿児島県城山で自決する。享年49歳。

和歌だけでなく漢詩もつくり、後年発見された漢詩の草稿では朱筆で添削した跡があり、思案して詩を作ったことがわかると専門家は指摘している(参照 : 西郷隆盛の漢詩草稿発見 何度も推敲「貴重な史料」)

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