戦国時代

伊達政宗の和歌

伊達政宗の和歌

伊達政宗は、出羽国と陸奥国の戦国大名で、伊達氏の第17代当主。仙台藩の初代藩主でもあります。

伊達政宗には、独眼竜どくがんりゅうという異名があり、この名前は、幼少期に患った天然痘によって右目を失明したことに由来します。

政宗は、芸事に精通し、特に、能に関しては若い頃から傾倒した他、茶の湯も学んでいます。

和歌も、豊臣秀吉の歌会に参加した際、武将たちの歌のなかで伊達政宗の和歌がもっとも優れていたそうです。

司馬遼太郎は、自身の小説のなかで、伊達政宗の詩心について、「歴史上高名な武将のものとしては古代中国の曹操にも比肩すべきものとしており、政治家としての側面にはその詩心が反映されていないことも二人の共通点である」と書いています。

以下は、そんな政宗の読んだ和歌の一覧です。

和歌

よそにのみ見れば木の間の一つ栗ついには猿の餌食なるべし

なつ衣きつつなれにし身なれども別るる秋の程ぞものうき

むしのねは涙もよほす夕まぐれさびしき床の起伏おきふしもうし

あはれげに思ふにつれぬ世の習ひ別れし友の別れもぞする

同じくはあかぬ心にまかせつつ散らさで花をみるよしもがな

遠くみし花の梢も匂ふなり枝にしられぬ風やふくらむ

みるからになほ哀れそふ筆の跡けふより後の形見ならまし

たれとても終には行かむ道なれど先立つ人の身ぞあはれなる

ふきはらふ嵐にもろき萩の花誰しも今や惜まざらめや

春雨にひらけそめにし花よりもなほ色まさる霜のもみぢ葉

梢まで咲きも残らぬ花にまたさやけき月の光さへそふ

春霞たちにけらしな足引の外山のおくは霜ぞ残れる

山たかみ麓の里にたびねしてあらしの枕ゆめも結ばす

皆人はかへる浪なる名取川われは残りて瀬々の埋木

そめいろの雲の眺めもことなるに初雁はつかりがねぞ空にわたれる

山ふかみなかなか友となりにけりさよふけ方のふくろふの声

豊の年ふりつむ雪とつたへきて言の葉しろき今日の春かな

わが宿の庭のむら萩咲きしより思ひぞいづる宮城野の原

年と月と日の始めなる朝ぼらけのどかに霞む四方の山の端

出づるより入る山の端はいづくぞと月に問はまし武蔵野の原

短夜のあけもやすらむ箱根山木ぶかき陰に夏ぞ忘るる

南より吹きにし風の匂ひきて涼しささそふひなのすまひも

けふはただ淵の底まで曇りなきこれやますみの鏡なるらむ

曇りなき心の月を先だてて浮世の闇を照してぞ行く(辞世の句)

特に、最後の和歌は伊達政宗の辞世の句として有名な歌で、現代語訳すれば、「先の見えない暗闇の世を、心のなかの雲一つない月明かりを頼りに歩んできたのだ」となります。

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