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上杉謙信の辞世の句
和歌
〈原文〉
極楽も地獄も先は有明の月の心に懸かる雲なし
〈現代語訳〉
死後に行く先が、極楽が地獄かは分からないが、今私の心は夜明けの雲一つない月のように晴れやかである。
〈原文〉
四十九年一睡夢 一期栄華一盃酒(四十九年 一睡の夢 一期の栄華 一杯の酒)
〈現代語訳〉
私の四十九年の人生は、まるでひと眠りのあいだに見た夢のように儚い。極めた栄華も、所詮はただ一杯の酒のようなものだ。
概要
上杉謙信
上杉謙信は、信濃に関して武田信玄と争った「川中島の戦い」でも知られる、越後国の戦国武将です。
その宿敵である武田信玄が、「頼りになる」と述べたと言われているほど、義理に厚い武将でもあり、また信仰心も厚く、特に、武神毘沙門天の熱心な信仰家で、「我を毘沙門天と思え」という名言も言い伝えられています。
私利私欲に溺れない「義の武将」であり、一方で、利害を冷静に判断し領土拡大に努めた戦国大名だったという指摘もあります。
加えて、公家との交流もあり、和歌にも通じているなど、文化人の側面もあったという上杉謙信。
上杉謙信は、49歳のときに亡くなります。厠で突然倒れ、まもなく死亡したことから、現代では、死因は脳溢血ではなかったかという指摘があります。
生涯独身で、実子はおらず、養子にしていた長尾政景の子の景勝と北条氏政の弟の景虎のどちらを後継者とするか決めていなかったことから、死後に後継者争いが勃発し、その結果として上杉家の弱体化に繋がったと言われています。
上杉謙信の辞世の句として知られているものには、和歌のものと、漢詩のものと二つ存在しています。
和歌で詠まれた辞世の句は、「極楽も地獄も先は有明の月の心に懸かる雲なし」です。
現代語訳すると、「死後に行く先が、極楽が地獄かは分からないが、私の心は夜明けの雲一つない月のように晴れやかである」という意味になります。
死のことを思うと、恐れや不安が出てくるかもしれません。しかし、たとえ、死後が極楽であろうと、地獄であろうと、夜明けの月に一切雲がなく輝いているように、自分の心にも迷いはない、という死への悟りのような心持を詠んだ辞世の句と言えるでしょう。
この有明というのは、陰暦の16日以後で、空にまだ月があるのに夜が明けること。その頃の夜明けの月や、単に夜明けを意味している言葉です。
もう一つ、上杉謙信には、漢詩による辞世の句もあり、その詩が、「四十九年一睡夢 一期栄華一盃酒(四十九年 一睡の夢 一期の栄華 一杯の酒)」です。
この詩を分かりやすく現代語訳すると、「 私の四十九年の人生は、まるでひと眠りのあいだに見た夢のように儚い。極めた栄華も、所詮はただ一杯の酒のようなものだ」となります。
自分の49年という人生は、夢のように過ぎ去り、生涯に築いた栄華でさえも、一杯の酒のようなものだ、と酒好きだった上杉謙信らしい表現で人生の儚さを詠んでいます。