戦国時代

細川ガラシャの辞世の句の意味

細川ガラシャの辞世の句の意味

和歌

〈原文〉

散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ

〈現代語訳〉

散るべきときに散るからこそ、この世における、花も花として美しく、人もまたそうなのだ。

概要

武士ではありませんが、辞世の句が有名な歴史上の人物として、細川ガラシャが挙げられます。

細川ガラシャとは、明智光秀の三女で、才色兼備として知られ、戦国時代の女性のなかでも特に知名度の高い人物です(ただし、同時代の肖像画などは残っていません)。

本名は、明智たまといい、永禄6年(1563年)に生まれ、慶長5年(1600年)に38歳という若さで亡くなります。

織田信長の勧めによって、天正6年(1578年)に、小倉藩初代藩主の細川忠興ほそかわただおきの妻になった細川ガラシャ。

しかし、天正10年(1582年)に、明智光秀の手によって起きた「本能寺の変」で状況は一変。「謀反人の娘」ということで信長の家臣から狙われることを心配した忠興は、細川ガラシャと離縁し、幽閉します。

細川忠興とガラシャ像

その後、秀吉の許しによって幽閉が解かれ、細川の屋敷に戻ると、キリスト教に傾倒するようになります。それから、やがて洗礼を受け、「ガラシャ」という洗礼名を受けます。

このガラシャという名前は、ラテン語で「恩寵」(神の無償の賜物)を意味する「Gratiaグラツィアに由来し、本名の「玉」に「賜物」という意味合いがあることから付けられたという話もあります。

秀吉の死後、実権を握った徳川家康に対し、石田三成が挙兵。慶長5年(1600年)、ガラシャの夫の細川忠興は、徳川家康に従い、上杉征伐に出陣します。

忠興は、屋敷を離れるに当たって、「もし自分の不在の折、妻の名誉に危険が生じたならば、日本の習慣に従って、まず妻を殺し、全員切腹して、わが妻とともに死ぬように」と家臣に命じます。

そして、その隙に、石田三成の軍勢が取り囲み、屋敷にいた細川ガラシャに人質となることを要求するも、その要求を拒み、ガラシャは自死を選びます。

ガラシャは、家臣への指示を済ませ、子どもたちへの形見の品や手紙を確認したのち、キリスト教では自殺が禁じられていることから、家老の小笠原少斎に胸を槍で突かせて絶命します。

細川ガラシャの辞世の句は、「散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ」です。

これは、現代語訳すれば、散るべき時を知っているからこそ、世の中の花も花として美しく、人もまたそうなのだ、といった歌で、さらに言えば、散るべきときに散るからこそ花も人も美しい、という意味と言えるでしょう。

まさに「辞世の句」にふさわしい歌なのではないでしょうか。

ちなみに、この「散りぬべき」という辞世の句があまりに有名なこともあり、それほど知られてはいませんが、細川ガラシャは、他に二首の辞世の句らしき歌を残したと言い伝えられています。

〈原文〉

露をなどあだなるものと思ひけんわが身も草に置かぬばかりを

〈現代語訳〉

露をなぜ儚いものと思うのだろうか、私の命も草の上に置かないというだけの違いで同じように儚いものであるのに。

この和歌は、細川ガラシャ本人の作品ではなく、『古今和歌集』にある、藤原維幹これもとの歌を、そのまま引用したようです。

〈原文〉

先立つは今日を限りの命ともまさりて惜しき別れとぞ知れ

〈現代語訳〉

あの世へ先立ち、命が今日限りということよりも、口惜しいのは貴方との別れなのです。

こちらの和歌はガラシャ作とされ、今日を限りに命が終わるということ以上に、あなたと別れることのほうが辛い、という愛しい人への最後の別れの歌です。

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