上杉謙信〜我を毘沙門天と思え〜意味と解説〜
名言
〈言葉〉
我を毘沙門天と思え。(『名称言行録』より)
〈意味〉
私のことは毘沙門天(仏教の宇宙観に出てくる四方のうちの北を守る守護神)と思え。
概要
戦国時代、越後など北陸地方を支配していた武将の上杉謙信の名言として知られるものの一つに、「我を毘沙門天と思え」という言葉があります。
仏教の宇宙観では、世界の中心に須弥山という山があり、その宮殿には帝釈天がいます。
そして、四方を守る四天王のうち、北を守護する武神が、この「毘沙門天」であり、上杉謙信は、自身のことを、毘沙門天の化身と考えていたそうです。
上杉謙信は、須弥山を京に見立て、帝釈天を天皇と将軍と信じ、北の越後にいる自分を毘沙門天となぞらえ、天皇と将軍を守る存在とします。
毘沙門天は、仏教と同じくインドが発祥で、前身はインド神話の財宝神クベーラだと言われています。もともと武神という側面はなく、中国に伝播して以降、四天王の一つとして信仰され、武神の側面も備わっていったようです。
上杉謙信が信仰していた毘沙門天は、毘沙門天のなかでも、刀八毘沙門天という南北朝期以降に現れた派生像で、戦国時代に多くの武将に信仰されます。
この毘沙門天は、刀をそれぞれ持った左右八本の腕に加え、もう一対(ないしは二対)の腕があり、仏塔や矛などを持っており、また、獅子の上に乗っている像が多く見られます。
この「刀八毘沙門天」とはどのようなものなのか、
高梨住職がまとめた
『法音寺の歴史と宝物』に記されている。それによると、
「毘」は毘沙門天の毘そのものであり、
「刀八毘沙門天」の姿は、
一身五面十臂で左右8本の刀を持ち、
他の2本の腕には仏塔と戟といわれる武器を手にして、
足下には獅子を踏まえている。「刀八」とは、
もともと中国西域の「菟跋国」に
王城鎮護の神として信仰されていた。その思想が日本に伝わり、
「菟跋」が「刀八」という文字に変換されて、
毘沙門天と合体して祀られるようになったという。
信仰という面で言えば、普通の毘沙門天信仰と違いはないようです。
さて、この上杉謙信の「我を毘沙門天と思え」という言葉は、以下の逸話に由来します。
あるとき、隣国で一揆が起こった際、間者(スパイ)を送ることになったものの、普段は毘沙門堂で神文を取って派遣するのですが、このときは時間がなく、上杉謙信は、家臣に笑って次のように言います。
我あってこそ毘沙門天も用いられる。我がなければ毘沙門天はありはしない。我が百度、毘沙門天を拝めば、毘沙門天も我を五十度か三十度は拝むであろう。我を毘沙門天と思い、我が前で神文させよ。
出典 : 楠戸義昭『戦国武将名言録』
上杉謙信は、仏教信仰が深く、国の安寧を祈り、その願いが成就するために、鳥魚の肉を断ち、女性と交わることを禁じ、侍女さえも近づけようとはしませんでした。
また、戦の前には、毘沙門堂に一人籠り続け、座禅瞑想し、「毘」という文字を旗印に掲げて出撃したそうです。