今川義元の和歌の逸話
武将と和歌の関係性にまつわる逸話として、『備前老人物語』に載っている今川義元の話があります。
戦国大名の今川義元は、あるとき戦場で家臣の一人に、「先手の様子を見に行ってこい」と命令を下します。
しかし、家臣が様子を見に行くと、すでに戦いは始まっていたので、家臣は一緒に戦い、首を一つとって、今川義元のもとに戻ってきました。
様子を見てこい、と言っただけなのに戦に加わってくるとは何事か、軍令違反だ、と今川義元は家臣を叱ります。
叱られた家臣は、側近に小声で、藤原家隆の詠んだ歌に「苅萱に身にしむ色はなかれども見て捨て難き露の下折」というのがあったな、と呟きます。
家臣が何やら言っているのに気づいた義元はいっそう怒り、すぐさま、「今何と申した」と側近に尋ねます。
藤原の歌を返すと、義元はしばし考えたのち、「急なるに臨みて、奇特に家隆の歌を思い出せし事名誉なり」と言い、罪を帳消しにしたそうです。
さて、これは一体どういう和歌だったのでしょう。
秋の刈萱は決して心惹かれるような色ではないが、露の光るしなだれた様子は見たら捨て難いものだ、といった意味でしょうか。
自分が様子を見に行ったら戦が行われていたので、参戦してきたことを、この歌に引っ掛けたのかもしれません。
こうして歌がすっと思い浮かぶことを、今川義元も関心したようです。
この逸話は、作家の菊池寛も次のように描写しています。
義元が文事を愛した話の一つに、ある戦に一士を斥候に出した処が、間もなくその士が首を一つ獲て帰った。義元は賞せずして反って斥候の役を怠ったとして軍法をもって処置しようとした。
その士うなだれたまま家隆の歌、
苅萱に身にしむ色はなけれども
見て捨て難き露の下折とつぶやいたのを聞いて、忽ち顔の色を和げたと云うことである。