武田信虎の顔【肖像画】 戦国時代
武田信虎の肖像画 1574年
武田信虎は、明応3年(1494年)もしくは明応7年(1498)に生まれ、天正2年(1574年)の死去する戦国時代の大名。
甲斐国の戦国武将武田信玄の父であり、永正16年(1519年)に甲府を拓き、その後甲斐国を統一する。
甲斐国を統一した信虎だったが、のちに嫡男の武田信玄(晴信)によって駿河国に追放され、生涯故郷の地を踏むことはなかった。
死後は山梨県甲府市の大泉寺に葬られ、現在も寺の奥に霊廟があり、武田信虎の墓も伝わっている。
肖像画の作者は、信虎の嫡男で信玄の弟に当たる武田信廉で、天正2年(1574年)、信虎の死後直ちに制作される。
ぎょろっとした目と厚い唇が特徴的な顔、僧侶のような姿で、軍配うちわを持っている。
信廉は、武人画家であり、武功よりも絵画や彫刻のほうが有名とも言われる。
絹本著色、大泉寺(甲府)所蔵。
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