雑学

上杉謙信の命日と死因

上杉謙信の命日と死因

戦国時代の武将で、武神や越後の龍と恐れられた上杉謙信は、49歳で急死する。

上杉謙信の命日は、3月13日。天正6年(1578年)の3月13日に病没する。

前年の末から、春日山城で次の遠征の準備をしていた謙信は、3月に入ると奇妙な出来事に遭遇したという。

深夜、城下で突然男女の悲鳴が響き渡り、番役がその声の場所に駆けつけるも、誰もいなかった。

また、追手門近くの大石が二つに裂けた。

なにやら不吉なことが続くと思われた矢先、雨の降る夜、かわやから出た謙信は突然倒れ、意識を失う。

養子の景勝らが必死の看病をするも、4日後の3月13日に死没。

死因は、一説では脳溢血と考えられている。

倒れる前から体調に不安を覚えていた謙信は、寿像を描かせていた。その絵には、赤い盃も描かれている。

上杉謙信は、大酒飲みとして知られ、酒のつまみには、梅干しや味噌など塩分の強いものを多く取っていたと言われる。

そのため、謙信の死因というのも、酒とつまみによる塩分摂取が祟ったのではないかと考えられている。

死の少し前に詠んだとされる謙信の辞世の句は、酒好きらしい詩となっている。

四十九年一睡夢いっすいのゆめ 一期栄華一盃酒いっぱいのさけ

意味は、「49年の私の生涯は一眠りの夢に過ぎない。この世の栄華も一盃の酒と同じである」。

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